ARCHITECT/2.0

kasta2009-08-22

ARCHITECT/2.0展で清澄白河からGYREへ、途中でギャラリー間でカンポ・バエザ展も見る。
菊竹さんとバエザの展示が自分で描くスケッチが中心なのに対し、より若い建築家の展示は模型が多い。
その凄まじい人力の投入ぶりが、なんだか痛くなる。
人につくらせるということへの、かすかな麻痺が、つくるモノの非現実感につながって、むしろ建築に先祖帰りしているかもしれない。
 
 
 
 

ベルク

kasta2007-04-28

新宿ルミネからほど近く、地下街にベルクがある。
コーヒーも飲めるし、ビールも飲めるし、ホットドッグも食べられる。
建築家の内井昭蔵さんは、子供の頃「箪笥の抽き出しをぜんぶ開けた状態」が好きだったそうだ。
いろいろなものがごっちゃに溢れていているけれど、それぞれの場所にちゃんとあること。

 
 

ヴィガネッラ

kasta2007-04-27

昨年、イタリアのヴィガネッラという谷間の小さな村に大きな鏡が設置されたというニュースが流れた。
陽の射さない冬の間、鏡に反射させて村に光を導くのだという。
あれから1年、村人たちは日替わりで鏡を磨きながら次の計画を練っている。
google mapsの航空写真を拒否するために、大きな布をすっぽり村にかぶせようとしているのだ。

 

 

 

表参道ヒルズへ

kasta2006-03-06

学生時代、建築界のトップランナー安藤忠雄で、
関西に旅行しては、大阪、京都、姫路、淡路島と安藤建築巡りをした。
そこでは路地や水辺、テラスや広場など、つねに周辺環境と触れ合うスペースがつくられていた。
だけど今日見てきたヒルズは、状況がまったく違う。
街路と応答しない内部空間、広告掲示板としてのファサード、安藤建築に特有の屋外空間がない。
ここは、19世紀的なアーケードのように自らを徹底的に内部化することで、
表参道の街路のインテリア化という21世紀的な現象を身を持って防ぎ、
街路を街路として残したということなのかもしれない。

 
 

「マイ・アーキテクト」を観る

kasta2006-02-22

「マイ・アーキテクト」は、建築家ルイス・カーンの息子が亡き父親を理解しようと
知人や作品を訪ね歩く旅を追ったドキュメンタリー映画である。
作品を巡る旅は、機能的な研究スペースを目指したリチャーズ医学研究所から始まって、
古代遺跡にも間違えられたバングラデシュ国会議事堂で終わる。
彼の作品は年を追うごとに彼自身のパーソナリティやヒューマンスケールからどんどん離れ、
建築としての強度を増しながら、ひとつの世界として自立していく。
そして、息子ナサニエルの父親からの自立もまた、それをなぞるように進んでいく。

 

東京オペラシティへ

kasta2006-02-21

収蔵品による企画展「抽象の世界-色・かたち・空間」展は迫力がある。
加納光於中西夏之、難波田龍起らの作品を続けて見ていくと、
抽象画とは画家が捉える世界の抽象化というより、
キャンバスの前に立つ画家自らの抽象化であると言えるかもしれない。
身体全体のほとばしる動き、あるいはじっと息をひそめて動かされた手指の動き、
絵はそれらの記録や痕跡としてではなく、画家を包む空間として今もそこにある。